神足幸伸のプロフィール
あなたは10代・20代の頃、リア充でしたか?
私は完全な非リア充でした(笑)
そんな悲しい青春時代を過ごしてきた私が、就職活動に失敗し、人生をかけた夢にも敗れた、挫折のストーリーをお話しします(笑)
ただし、バッドエンドではありません。
完全に人生に行き詰まった私が、スピリチュアルに目覚めることで、どう変わっていったのか?
そんな紆余曲折のストーリーをご紹介します。
灰色の青春時代

10代20代の頃の私は、まるで灰色の青春時代を過ごしているような感覚でした。
まず、人付き合いがとても苦手でした。
友達は少なく、恋人もできない。
そのくせ、人にどう思われるのかを極端に気にしていました。
よせばいいのに、飲み会の誘いを断れず、参加したはいいが、当然談笑の輪には入れない。
テーブルの隅で下を向き、余ったサラダを食べ続けるだけ。
寂しさと惨めさで押し潰されそうになりながら…
その頃のトラウマからか、40歳を過ぎた今でも、たまに飲み会で恐怖を感じる瞬間があります(笑)
新卒で入った会社は2ヶ月で辞め、以降はずっとフリーターかニート。
小説家を目指していたのですが、その小説の方も結果は出ない。
新人賞の一次選考にすら、かすりもしませんでした。
将来の見通しが全く立たない中で、自分が何者で、どこに向かって進んでいるのか?
本当に正しい道を進めているのか?
自信が持てないまま、時間だけが過ぎ去っていきました。
苦悩の30代前半
30歳を過ぎると、いずれ訪れる「死」やその先にある「宇宙の終わり」について、考えさせられる時間が増えていきました。
小説を書くことに喜びを感じる瞬間は、確かにありました。
創作することは楽しかったし、生き甲斐だとさえ思っていました。
でもその一方で、何かが足りないというか、どこかに小さな棘が刺さっているような、かすかな違和感を感じていたことも事実です。
でも、その時の私には、それが何なのか、わかりませんでした。
何より、やりたいことができているのだから、結果もいずれはついてくるはず、と固く信じていました。
とはいうものの、いつ成功するかもわからない中で、アルバイトをしながら、ひたすら原稿用紙に向かう日々というのは、精神的に辛いものがありました。
同世代の人達が会社で出世し、スキルや経験を積み重ねている中で、自分は……と考えてしまう。
他のことを楽しむ心の余裕なんて、とてもあったものじゃありません。
正社員をしている人や、資格を持っている人に嫉妬したことも、一度や二度ではありませんでした。
瞑想に救われる

私の唯一の救いは、18歳の頃から、ずっと瞑想を続けていたことでした。
瞑想のおかげで、心のバランスを保つことができていた、と言っても言い過ぎではありません。
内面の成長のため。
もっと言えば、全ての苦しみから解放されるため、私は熱心に真理を追い求めました。
聖者の教えが書かれた本を貪るように読み、ヒーリングやセラピーを学び、インドにも行きました。
自分がいいと思ったことは試し、多くの時間と情熱を、内面の探求に注ぎ込みました。
人生の転機
私に大きな転機が訪れたのは、2011年の3月。東日本大震災の時でした。
千葉県に住んでいた私にとって、原発事故は他人事ではなく、大袈裟ではなしに、命というものに初めて正面から向き合わされました。
原発の爆発と放射能汚染の恐怖の中、私は祈ること以外、何もできませんでしたが、それでも、その恐怖から逃げることだけは、絶対にしないつもりでした。
何が起ころうと、現実からは目を背けないつもりでした。
瞑想者の意地だったのかもしれません(笑)
すると不思議なことに、あれほど執着していて、やりたいことでもあったはずの小説の執筆に対し、「こんなことをしている場合ではない!」という想いが、突然わき上がってきました。
その一方で、真理の探求、自己の成長に対する想いが、ムクムクと頭をもたげてきました。
いつ原子炉が爆発するかもわからない状況の中で、です。
いや、だからこそ、人生の残りの時間で、本当にやりたいことは何なのかが、その時わかった気がしました。
強制的に「死」に向き合わされたことで、私は自分の本当の「想い」に、初めて気がついたのかもしれません。
原発は奇跡的に最悪の事態を免れましたが、それを期に、私は小説家への思いを手放しました。
……手放した、と言えば聞こえはいいですが、要するに挫折したわけです(泣)
費やした時間は約16年。
残った物は、書き散らした紙くずの山だけ。
この事実は、私にとっては、決して軽いものではありませんでした。
当然のことながら、なんのスキルや資格、職歴もありません。
客観的に見れば、人生の行き先を完全に見失った状態です(泣)
この時34歳。
私にかろうじて残ったのは、真理への求めだけ。
他には何もなくなってしまいました。
でも、それでもいい、と思える、理由のない確信だけは、なぜかありました。
……ホント、なぜなんでしょうね(笑)
ともかく、選択肢のなくなった私は、唯一残ったその道を進むことにしました。
……ただ、実はこの道こそが、茨の道。
過去に多くの修行者達が挑んだ、人類不変のテーマなわけです。
明確なゴールもなければ、成果を保証してくれる手段もない、それこそ雲をつかむような話です。
まして私など、ただのアマチュア小説家くずれ。
僧侶でもなければ、霊的な才能だって、何一つありません。
そんなに簡単にいくわけがありませんでした。
本当の自分への目覚め
2012年の12月。
36歳の時、私は内面の探求に行き詰まりました。
たまに至福の状態が数日間続いても、すぐに元に戻ってしまう。
その状態を取り戻そうと試行錯誤すればするほど、むしろ、苦しみだけがどんどん増えていく……
激しい焦りを感じました。
(もしかしたら、このまま一生、何も変わらないんじゃないか?)
人生の方向性を間違えたのかもしれない……
そんな恐怖にとらわれました。
私は無力感に打ちのめされ、何をしたらいいのか、これ以上何ができるのか、全く見えなくなってしまいました。
もちろん、仕事や人間関係など、外側の現実的な状況にも大した変化はなし。
そのまま行くと、内側も外側も中途半端なまま、人生が終わってしまいそうでした。
まさに八方塞がり。
もはや進むことも戻ることもできない…
起き上がる意味さえわからなくなってしまった私は、アルバイトを休み、布団の中でうずくまりながら、ついに全てをあきらめました。

生まれて初めて、全てを完全に放棄しました。
――その時、奇跡が起こったんです!
気づいたら、その体勢のまま、私の意識は苦しみの牢獄の外側に出ていました。
私は全く変わっていませんでした。苦しみもなくなっていませんでした。
でも、本当の「私」は、体の中にも、心の中にも、苦しみの中にもいなかったんです!
それは私にとって、人生の定義を根底から覆すほどの、衝撃的な気づきでした。
本当の自分が宇宙よりも大きいことに気づかされた私は、その日以来、苦しみに囚われることがなくなってしまいました。
私が神になったとか、そういうことではなく(笑)、全ては1つの存在だったんです。
たった1つのものだけが存在していて、私も彼も彼女も、苦しみも善も悪も、それの分光、つまり見え方の違いでしかなかったんです。
完全じゃないものなんか、何もない……
ただそのことに気づいただけなんですが、それこそが、私が20年かけて求めていたものの答えでした。
それ以来、私の中で、ものの見方が180度変わってしまいました。
その後も、目覚めは少しずつ深まっていきましたが、別に外側から見て、何かが大きく変わったわけではありません。
実年齢より少し若く見えるくらいでしょうか(笑)
「魂の願望」を知る
内面での違いを1つあげるとすれば、自分が心の一番深いところで何を望んでいるのか、わかるようになったことです。
震災の時に、小説家への執着を捨てた理由も、遅ればせながら、理解することができました。
その当時の私は、「作品」という成果物を手に入れるために、小説を書いていました。
自分が死んだ後も、精魂込めて書き上げた作品が世に残っていくことが、「永遠の命」っぽくて、カッコよかったんです(笑)
そしてそれ以上に、そんな作品を書ける「神足ってスゲー!」って、世の人々から思ってもらいたかったんです。
小説を書くことを通じて、自己重要感を満たしたかったんですね。
もっと言うと、一番になりたかった。
でもそれは、私の本当の願いではありませんでした。
私の最も深いところにあった想いは、「日々、自分を高めていきたい」ということと、「その果実を周りの人達に還元したい」というものでした。
成果物を得たり、それを通じて人々の評価を得ることではなく、一瞬一瞬の成長を大事にして、それをみんなと分かち合うことが、私の本当の望みだったんです。
必死になって小説を書いていた頃、やりたいことをやっているはずなのに、どこか満たされなかった理由は、そこにありました。
評価を得るために執筆していた私は、書いていて、全然成長している実感がありませんでした。
そこに違和感を感じていたんだと思います。
現在の私
私は現在、「人生を再起動するコーチ」として、自分の魂の願望に沿った活動をしています。
日々の成長。
果実の還元。
苦しみを終わらせたくて内面の探求に励んでいた時には考えもしませんでしたが、思い返せば、それらは全て今につながっていました。
天職は、もがき苦しんだ先に、ちゃんと用意されていたんですね。
ミッションを生きる
人生は誤答に導く罠に満ちています。
やりたいことを見つけるだけでも難しいのに、それが正解であるとは限らないんです。
実際、自分の進むべき道が見えずに悩んでいる人は多いんではないでしょうか?
でも、魂が歓喜するような生き方というのは、実際に存在します。
悩むことなく、すんなりとそういう道に進める人も、中にはいるでしょう。
ただ、誰もが簡単にたどり着けるわけではありません。私自身は18年かかりました。
鍵になるのは、「魂の願望」――つまり、自分の一番深いところにある想いです。
それさえ見つけることができれば、人生は自動的に好転します。
人生に迷いがなくなり、大げさではなく、毎日が今より何倍も楽しく感じられるようになります。
長い期間の挫折を経て魂の願望に気づいた体験と、20年以上のスピリチュアルな歩みのおかげで、私は今の仕事に巡り合うことができました。
微力ながら、その経験を世の中のために役立てることができたら、最高ですね。
やりたいことがわからなくて悩んでいる多くの方が、心の奥の真実の願いを知り、魂が震えるような生き方に巡り合えたなら、こんなに素晴らしいことはないと思うからです。
テクニックやノウハウだけではわからない、「本当の」やりたいことに巡り合うための、お手伝いをしていきたいですね。